. 行政書士組織論: 構造と利他性について

2017/02/01

構造と利他性について

ども、塩谷です。例によって久しぶりの更新となりまして、行動日記ではないブログであり、しかも営利やまして虚名を目的としていないものなので、放置しておくと無限に放置されます(3年半以上やってて58記事笑)。

実はなぜか、全く更新されていないにも関わらず、このブログのアクセス数が増加しており(といっても元々が滅茶苦茶しょぼいのでタカが知れていますが)、以下の記事へのアクセスが多いのですね。理由はおそらく、行政書士試験の合否発表が関係していると思われます。

行政書士組織論: 特定行政書士制度創設へ

自分で書いておきながら、だが言っておきますが、僕は行政書士の一般論を代弁していないと思うので、上記の記事では一部否定的な意見にも取られかねない記述がありますが、これから行政書士にならんとする方は、この記事をもって「特定行政書士あかんのや、辞めよ」と思わないでいただきたい、ということです。


身も蓋もないですが、誰かの意見をそのまま丸呑みすることが最も致命的な間違いだということです。自分で考えようぜ、ということですよね。まして、これから専門職にならんとする人が人の意見のみに左右されてどうする、他人の言葉で自己規定してどうする、もっと言えば、素性不明のコンサルなんて受けてどうすんの(金と時間の無駄だぜ)ってことかと。

本題に入ります。組織内で生きていく(組織を運営する、も当然含む)場合、利他的に振る舞うことが結局は最も利己的な結果に結びつきやすいのではないか、換言すれば、利己性とは結局利他的に振る舞うことなのではないか、というテーマで書いてみたいと思います。僕の専門が中小企業法務と遺伝子学なものですから(嘘)。すいません、自分でも思いっきり意味が分かりません。

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行政書士事務所を組織化することの是非はもう問いません。そうするものだという前提で話を進めます。ついでに、どうやって組織化するかということももう議論しません。

弊社はいわゆる「そこそこ」の所帯だと思いますが、やはりいわゆるベンチャーなので、様々な人々が関係しては去ってゆき、また新しい出会いがあり、少しずつ所帯が拡がってゆくということを日常的に繰り返しています。その所帯を管理する立場でずーっと人々の挙動を観察していると、実に様々なものが見えてくるのですが、組織の中心に向かって動いてゆく人と、(本人にその気があるのか不明ですが。恐らくないのですが)徐々に中心からずれていく人がいます。

我々の組織に関わってくる人は、給料がほしいとか定職につきたいとか実務経験を積みたいとか、キャリアアップしたいとか、(知りませんけど)乗っ取りたいとか、それぞれの動機を持って接触してくるのですが、その動機を達成するために、利他的な行動を取る人と、利己的な行動を取る人がいるのです。

自分の動機を直接的に達成しようとすれば、当然利己的な行動をする方が近道のように思えますが、実際には徹底して利他的に行動するほうが、どうやら当初の動機に近づいているように見えます。
つまり、「俺は行政書士として許認可の実務をバリバリやりたいんや!間接業務なんて知らん!」という行動ばかりする人間より、「許認可やりたいっすけど、業務上間接的な作業(請求業務とかね)手が足りないならそっち回ります」という人間の方が、組織の真ん中に入ってきて、2周目のコーナーを廻る頃には業務上欠かせない人材になっている、ということが良く起こります。

それで全体の業務も改善してるんですから、じゃあ結果だって利他的なんだから最早それ利己性と言えないんじゃないの、という気もします。これをして世の中ではWin-Winとか言うのかしら(俺は絶対言わないけど)。自分がやりたいことと、自分に求められていることの切り分けができる人は強いです。

このようにして、構造のパーツになることを厭わない人だけが、構造を設計する立場になっていくのだと思います。ちょっと抽象的な議題になりましたが、年末年始に美しく大量の入札業務を回していくスタッフ各位を眺めて感動しておりましたので、構造と利他性についてまとめてみました。