お疲れ様です、塩谷です。
日々暇を見つけてはGeminiと来し方行く末について議論しているのですが、過去の自分の行動にどういう意味があったか検討して、自戒を込めて徹底戦についてまとめておこうと思います。
正確にいつ始めた取り組みなのか忘れましたが、数年前に準備を開始したプロジェクトがグダり、継続が困難になったので撤退することにしました。
始める頃には当然これイケるやろと思って仕込んだことでしたが、私の至らなさと社会情勢の変化によりうまく行かなかった。まあそんなもんかと思いますし、いつもうまくいくことばかりじゃないというか、うまく行かないことばかりなので、撤退しても特にネガティブな感情はないです。嗚呼この計画もうまく行かなかったな、くらいの感想しかない。
プロジェクトの仕込みを始めるとき、私の見ていた社会と思考経路はこういうものでした。2018年くらいのことだと思います。
日本の人口が今後長いスパンで減少していくことは既定路線で、社会維持のための労働力はどうしても外国人に頼らざるを得ないが、日本の政策もそちらに舵を切ったように思われる。具体には特定技能の制度がスタートし外国人が単純労働に従事できるようになるが、労働力の程度にはグラデーションがあって、技人国、特定技能の次に技能実習制度がある。技能実習生は建前上労働ではないが、中小企業等の特定の業種においては事実上労働力として機能している側面があり、今後の日本社会では労働力減少を外国人で補いたいニーズが企業に発生すると思われ、技人国、特定技能、技能実習を中間機能としてサポートできるのは行政書士として面のメリットがある(松竹梅で営業できる)。
技人国、特定技能は行政書士としてサポートできる。技能実習制度を自社商品として営業するためには監理団体になるのが正攻法で、一般に極めてハードルが高いと言われる監理団体の許可を取得すれば他の行政書士と差別化できるし、人材仲介なので初期投資も少なくて済む(仕入れ、在庫がないスモールビジネスの典型)。
んで、以下の仕込みをしました。
私は専門分野が第2次産業系の許認可なので外国人ビジネスに知見が浅く、日本を代表する(現在。当時は代表することになるであろう若手の)行政書士2名を口説き、一緒にやってみないかと誘った。私は事業運営の知見や保守的で漸進的な管理ノウハウがあると思っていたので、それを提供できるだろう。
+1名の更に若手行政書士をアサインし、合計4社の事業者として事業協同組合を組成し監理組合の許可申請をしたところまでは良かったと思う。初期投資としての金は大してかからないのだ、既存事業のアセットを流用すればキャッシュアウトは300万円以下だろう。監理組合の申請でおそらく最も高いハードルと思われるのは海外送り出し機関との間の送り出し契約だが、これはネットワークができていないと調印できず、普通はそのネットワークがなくて断念される。私たちはメンバーに海外居住者(当時)がおり、しかも彼がスーパーセレンディピティを発揮してこの契約は用意できた。
そうなのだ、行政書士のようなスモールビジネスにとってセレンディピティはとても重要な要素で、この幸運な偶然を引き寄せるのは行動量とオープンマインドなのだが、それを1人の人間が両立させるのは非常に困難だ。当時の彼にはそれがあり、私は彼がメンバーにいたことが組合組成時のファクターになっていたと思う。だから小島くん(言っちゃった)を一番最初に誘ったのはやはり正しい判断だったのだ。
予想もしていなかったことだが、だがそんなことをプロジェクト開始時の懸念に置いておけるわけもなく完全に予見不可能だったのだが、この瞬間に世界がコロナに包まれた。日本は150年振りに鎖国して外国人が日本に入ってこれなくなり、コロナ前に想像されていた、インバウンドが更に爆発して外国人観光客が激増し、伴って外国人就労者の数も増え、特定技能が更に上段の就労資格になる未来はここで一旦消えた。私たちが準備していた監理組合の許可は申請が受け付けられたものの行政庁の決裁が下りず店晒しになり、メンバーは技能実習どころか自社の存続が危ぶまれる状況で右往左往するしかなかった(ちなみにその後それぞれ自社の経営状況は爆発的に改善し伸長し今に至っている)
最初の最初でこのような予見不可能なトラブルが起きて、だが私たちは気を取り直して許可を受けた後に積極的な営業を行ったのだが、得られた成果は予想をかなり大幅に下回った。5段階くらいのシミュレーションをしていたとして、一番下の予想をクリアできていなかったと思う。営業がうまく行かなかった理由は、それまで私たちが持っていた知見がうまくハマらなかったことと、初期段階で躓いていることで活動に及び腰、億劫になっていたことが理由だと思う。日本は鎖国を解いて外国人就労者は数年遅れで激増し今に至るのだが、技能実習制度は様々な制度上の内省を経て法改正されることになり、これを書く現在からすると翌年には新制度に移行することになっている。新制度は現行制度より運用のための要件がかなり厳格化され、営業も芳しくない状況を見て、自分たちを振り返る必要に迫られていた。
この頃には設立時のメンバーはそれぞれこのプロジェクトから離脱し私だけになっていて、他のメンバーがアサインされていたのだが、私たちは話し合って撤退することに決めた。できることはやったと思うし、ちょっとずつ改善していったのだが、つまりちょっとずつ良くなっていたのだが、それが事業としての合理性を持つビジョンが全く見えなかったね。
塩谷はおそらく、事業責任者としてはイケイケではありません。どちらかといえば保守的で漸進主義的だと思います。更にいえばビジネスの才能なんてない上(ないから士業やってんだけど)営業の力学をどこかで修行した経験もないので、世情をじーっと観察して手持ちの知識を重ね、この分野でこういう取組をすれば最悪このくらいの手出しでこのくらいの取引を作れるだろう、と思えたときにしか取組を開始しないが、プロジェクトの短期的な立ち上げ目標は3人30,000~50,000ですかね、そこまで行かないと既存事業が割を食う可能性が高いので(既存事業の利益を配賦しないと新たな取組がペイしないのであれば、既存事業に従事するスタッフが得べかりし利益を放棄させることになってしまう)。
スタート時には大まかに、厳密なエクセル計算まで行かないまでも撤退ラインをうっすら想定していて、今回の取組は早期に目標ラインまで届かないだろう、既に得べ利を既存スタッフに放棄させてしまいかねない状況になっていると判断したためです。だから、結果としてこのプロジェクトは全然うまく行かなかった。
当時の市場環境の観測は間違っていなかったと思うし、協力してくださる人選もほぼパーフェクトだったと思うのだが、コロナ時の市場の霧が深すぎて全然見えず方向を見失いました。また、既に事業を持っている複数のメンバーが足並みを揃えることの難しさをここでもまた痛感しましたね、意見の相違というよりテンションと熱量の共有が一番ムズいんですよね.....
ということで本取組は私にとってはうまく行かなかったものとして、撤退することをメンバー合意で決めておりますが、だからといって既存事業の周辺にある事柄を合理化してサービス化できるのではないかという色気っつうか進歩へのトライは放棄するわけには行かず、今後も続けていくと思います。私はこの失敗で何を得たのかと考えますが、少なくとも先が見えない状況で何か少しでも改善への努力をする経験は得られたし、何かを興すには結局は数を集めることが正義になることも確認できた、数が集まらなければ何も起きないことも理解したから組成の部分と同時にどう集めるかを最優先しなければならない、撤退ラインも数値化すべきだ、などですかね。
私には急進的な発展を興すような度胸はないから、今後も保守的で漸進的な進歩を続けられるよう、多義的な視点を持ち情報収集を続けていきたい。本稿のような内省の時間も持ち続けたい。
世情は常に流動的、私たちのような弱小事業体は世間の浮気程度ですぐに消えてしまうような規模なので、今回得た知見もシナプスの1極として私の中にはリマインドしつつ、結合させて何らか新しい取組をはじめられるようスタンバっておきたいと思う所存です。